中野さん取材レポ02

おはようございます。

週末は必ず登山に出かける
新潟の魔法の名刺屋です。

(仕事は好きで楽しいのですが、1日くらいモニターを見ない日が欲しいのです☆)




さて本題

買取専門店「こやし屋」を東京と大阪で4店舗経営しておられる中野さんの取材レポ。本日は第2話になります。

> タンスの肥やしに再び活躍の機会を
> 買取専門店「こやし屋」

> 来るだけでも楽しめるお店を心がけ
> 駒込店(東京)HP
> 巣鴨地蔵通店(東京)HP
> なんば店(大阪)HP
> 天六店(大阪)HP




わたし:

なかのさん、なかのさん、

こやし屋さんは2年前からFC展開が始まって中野さんはすぐに加盟されたそうですが、それ以前の中野さんは何をしておられたので?






中野さん:

大阪で買取の会社をやってました。
こやし屋で扱うモノとはまた別なジャンルの買取でして、オーディオやテレビ、美容家電、楽器や釣具やゴルフ用品などですね。




わたし:

似たようなご商売をされてたのですね。

それじゃリユース業界一筋ですか?






中野さん:

いえ。僕の経歴はちょっと複雑なんですよ(笑)
埼玉県春日部市生まれの現在30歳なのですが、東京の日本歯科大学を卒業しまして最初は歯科技工士として普通に東京でサラリーマンしてました。歯を作る仕事です。手先は器用な方で物作りも好きでして、大学は首席で卒業しました。

で、大学の頃から自分で商売すると決めてたのですが、実際に歯科技工士として働いてみて、業界のカリスマと呼ばれる方達の年収を知って希望を失ってしまいまして(笑)
そこから名刺交換会とかに参加するようになって商売の種を探して周りました。ひょんな事から物流関係の方と知り合いまして、物流関係の仕事をサラリーマンをしながら副業で始めたんです。23歳か24歳の頃ですね。

でもその副業が東京ではすぐにレッドオーシャンになりまして、大阪方面はまだブルーオーシャンだと聞きましたのでサラリーマンを辞めて大阪に移住しまして、そこからは自分の商売1本で食べていく事にしたんです。




わたし:

大阪には何かツテがあったのでしょうか?






中野さん:

いえ。大阪には何の縁もありません。
僕は行動力と勢いだけでココまで来ております(笑)

で、大阪で始めたのはいいんですけど、悪い人に騙されちゃったりして数百万円を持ち逃げされたりしまして借金の総額があっという間に600万円になってしまいました。あの頃の僕は夢だけを抱いたピュアな青年だったんですよ(笑)

で、普通の人なら自己破産するところなんでしょうけど、僕の場合は「絶対に成功して帰ってくる」と家族に啖呵を切って出てきてしまった手前、それでは格好が悪過ぎると。地元の仲間達は結婚して子供も出来て幸せそうにしてるのに僕は大阪で自己破産。そんな事は絶対に出来ないなと。

なので意地でも完済してやろうと、物流の仕事をする傍らでネット回線の訪問営業もしてましたね。1日で2件の契約が取れれば生きて行けるのですが、200軒回っても1件も契約取れないなんて日もありまして。訪問営業なんて基本的に嫌われ虫ですのでね。それ以外にも夜間にショッピングモール店舗の改装工事の手伝いに入ったり。家に居ると督促状がポストに届くんですよ。なのでポストの音に日々怯えていました(笑)

お陰でどうにか返済は続けて行けたのですが、元金が全く減らないんですよ。このままでは一生掛かっても完済出来ないと思い、チャンスを求めてまた名刺配りを始めました。




わたし:

ひどい事になっていたのですね(笑)






中野さん:

ドコかにいい仕事はないか?いい話はないか?と色々な人に会って行く中で、大阪で貿易をしている方と出会いました。騙された経験もあったので最初は慎重にお付き合いしていましたが「この人は本物だ!」と確信するに至りまして「何か僕にお手伝い出来る事はありませんか?」と。それが買取を始めるキッカケになりました。

おかげさまで買取業1年目で借金は綺麗に完済する事が出来まして、2年目は更に大きく売上を飛躍させる事が出来たのですが、これ以上伸ばすには人をもっと増やして倉庫も大きい場所を借りないとイケナイと。それだと利益率が下がってしまう。このままでは良くて現状維持、衰退は免れないなと。

そこで貴金属買取へのシフトを考えたんです。貴金属なら場所も取らないし売り上げも利益も上がるんじゃないかと。それでまずは長い物に巻かれようと大手FCの説明会に参加したんです。でもそこでの話は『いかに加盟店を増やすか?』だけを考えているのが見え見えで、買取店の魅力を語ってくれなかったんです。何社も何社も話を聞きに行きましたが、毎回ガッカリして帰ってフリダシに戻るの繰り返しでした。




わたし:

そんな時に「こやし屋」を知った?






中野さん:

そうなんです!
好きで見ていたYouTube番組「令和の虎」に三浦さんという方が出演されていて、虎達の前で「こやし屋FC展開」の事業計画をプレゼンされていました。この中で三浦さんは買取店の魅力を存分に語られていて、ビビビビ!っときてすぐに公式LINEに登録して第1期のFCオーナー募集に応募しました。

https://www.youtube.com/watch?v=Gm8ytfx5KjQ
https://www.youtube.com/watch?v=xPgrA31pa80
https://youtu.be/2wFx80aCSyc?si=Lp6_UyYTE-IpBVdj(中野さんも出演)

30名の募集に対して120名の応募があったそうですが、僕は選ばれる自信がありました(笑)書類審査に通りまして、三浦会長との1対1の面談に進んで選んで頂けたんです。

それですぐに開店準備に取り掛かり、本部が運営するスクールにも通って鑑定士の資格も取りまして、令和4年の9月28日に駒込店をオープンしました。僕の駒込店は他オーナーの恵比寿店や大宮店と同時オープンで、FC第1号店舗なんですよ。公募に合格したのが令和4年の6月でしたので密度の濃い3ヶ月でしたね。当時は大阪住まいでしたが駒込にお店を作ったのは本部が『最初は関東圏で展開する』という方針だったので。

こやし屋の加盟金は1店舗500万円で少しお高めなのですが、その代わりに月々のロイヤリティが不要なのも魅力です。それと三浦会長は『鑑定士を憧れのカッコイイ職業にしたい』という想いもお持ちで、そこにもとても共感しました。




わたし:

怒涛の20代を歩んで来られたのですね(笑)

で、駒込店が上手く行ったので多店舗展開を?






中野さん:

そうです。そうです。お陰様でオープンしてから全店舗でずっと黒字続きです。
僕は駒込店で半年ほど鑑定士としてお店に立ちましたが、大阪の難波に2号店を出すにあたり経験者さんを社員さんとして雇用させて頂きまして、駒込店を彼に任せて大阪のお店も他の社員さんに任せて私は経営に集中するようになりました。

目標としては10店舗を目指したいと思っています。僕が直接マネジメント出来るのはそれくらいが限度かなと。10店舗を達成した後の事は考えていなくて、とにかく10店舗達成に向けて邁進している毎日です。

お金が欲しくないワケではありませんが、お金儲けが主眼ではありません。経営が、商売自体が楽しいんです。最近まで僕の役員報酬15万だったんですよ。まぁ経費枠はあるわけですが。でも流石に15万は低過ぎると税理士さんに言われてしまったので最近は少し上げましたけたけどね。でも大阪での借金暗黒時代がトラウマになってて、自分の生活水準を上げるのが怖いんです(笑)

そもそも僕はほとんど遊んだりもしなくて、言葉は悪いかもしれませんが仕事自体が人生をかけたゲームだと思ってます。僕は「ワーク ライフ バランス」という言葉が嫌いでして、落合陽一さんが提唱されてる仕事とプライベートを分けない「ワーク アズ ライフ」という言葉が好きですね。

仕事とプライベート(楽しみ)を切り分けちゃうと週に5〜6日はシンドイ事になっちゃうでしょ。7日間丸々楽しめる方が幸福度は高いじゃありませんか☆

寝ている時間以外の全てが仕事であり、全てが趣味なんです。
皆さん旅行やキャンプなど趣味の時間中は全て能動的に忙しく楽しみながらも自らすごい行動力で活動するでしょ? 僕にとってはその時間が毎日ず〜っと続いてる感覚です。




わたし:

それ、非常〜に共感しますね!

私も「ワーク ライフ バランス」という言葉は寝言だと思っていますよ。


ですが…


















私は週に1度は山登りしないと気が済まないので、ワークライフバランス派になっちゃってますけどね(笑)




(次回いよいよ最終回^^)