おはようございます。
名刺に載せるプロフィールはめちゃくちゃ簡略化する
新潟の魔法の名刺屋です。
(いかんせん紙面が小さいので^^)
さて本題。
福島県いわき市の瓦屋根工事店、品田さん取材レポート。
本日は第2話です。
> 屋根・雨どい工事の専門店
> やねのしなだ(福島県いわき市)
> https://www.shinadakawara.com
名刺屋:
しなださん、しなださん、
品田さんで四代目さんだそうですが、すんなり後を継がれた感じですか?
品田さん:
いや~、すんなり跡を継いだワケでもないですね(笑)
瓦屋さんが嫌いだったワケではないですが、そんなに「継げ継げ」みたいな事は言われてなかったので高校卒業後は一般企業に就職しちゃったんですよ。
あ、ちなみに高校は平(たいら)工業高校の電気科でして、僕はサッカー部で右サイドバックとして全国選手権に出場したんですよ! 僕のちょっとした自慢の1つです☆
名刺屋:
お~、サッカー。
県代表にまでなるなんて凄い^^
振~り~向くなよ、振り向くなよ~~♫ の大会ですよね!
で、
一般企業にお勤めになってたのに何でまた瓦屋さんに?
品田さん:
東日本大震災がキッカケですね。
当時の僕は不動産会社に勤務してたのですが、親父があまりに忙しそうにしてたので不動産会社を休職して親父の手伝いに入ったんですよ。
当時は不動産屋さんは仕事にならない状態だったので休職を認めて貰えたんです。
名刺屋:
あ~、震災!
あの頃やたらとお家の屋根にブルーシートが掛かってる映像がニュースとかでも流れてましたよね。職人が足りないとかブルーシートが足りないとか、盛んに報道されてた記憶があります。あれをされてたのですね。
品田さん:
そうです。そうです。毎日駆けずり回ってました。
震災からすぐというワケでもなくて、震災直後は放射能が怖かったので妻と息子と僕で静岡の親戚の所まで車で逃げて行って避難させて貰ってました。でも2週間程度で戻ってきちゃいましたけどね。いわき市は避難エリアではなかったので。
それで親父の仕事を手伝い始めたのですが、3ヶ月ほど経ってもまだまだ工事は終わりが見えないし不動産会社の方もまだ仕事が戻ってきてなかったので、「これはもう本格的に瓦屋さんになるしかないな」と。それで不動産会社を退職して実家に入った感じです。
名刺屋:
震災でご自宅とかは大丈夫だったのでしょうか?
品田さん:
親父の作る屋根はシッカリしてますのでね。
他にも親父が仕事で手掛けたお家の屋根はほとんど壊れてなかったんですよ。なので親父は『なんで俺が他人の作った屋根を直さなきゃイケナイんだよ』ってブツブツ文句言ってました(笑)
名刺屋:
先代は腕の良い職人さんでらしたのですね。
こんな事言うとアレですが、当時は儲かったでしょ?
品田さん:
まぁ仕事の量がありましたから食うには困りませんでしたよね。
でも親父は商売っ気が無いのでほぼ正規料金でやってましたよ。ここぞとばかりに値段をふっかけて行政指導とか受けたりしてる瓦屋さんもあったようですけどね。
あの頃は毎日毎日色んな現場に行って色んな屋根を経験できたので、僕はそれで一気に仕事を覚えた感じです。3年前には国家資格である瓦葺き技能士の一級も取得できました。
名刺屋:
震災がきっかけで品田さんの人生が大きく変わったという事なんですね。
いい話だ。
品田さんの瓦職人就業ストーリーを聞くと、誰しもが品田さんを好きにならずにいられない気がしますよ。
この話を名刺に載せられたら最高ですが…
いかんせん紙面が小さいので、
詳しくは載せられないのが残念でなりません(笑)
(次回いよいよ最終回^^)