おはようございます。
商売って場所で大きく左右されると思う
新潟の魔法の名刺屋です。
(なので場所探しは大事ですよね☆)
さて本題。
リサイクルショップ社長の高場さん取材レポート。本日は第2話になります☆
> 総合リサイクルショップ
> トレンドサーチ(北九州市小倉北区)
> https://tresa.jp
それでは早速どうぞ~。
わたし:
たかばさん、たかばさん、
高場さんは、いつからリサイクルショップを始められたのでしょう??
高場さん:
2016年から始めましたので、7年前からですね!
大学卒業後はニトリに7年間ほど勤めておりまして脱サラして始めたんです。
こう見えてニトリ時代はそこそこ優秀な社員でして、法人事業部でトップの成績を取ったりとかしてたんですよ。
なので辞める時はだいぶ引き止めて頂きまして、中々退職させて貰えませんでした(笑)
わたし:
お~、あの有名なニトリさんのやり手社員さんだったのですね!
それがまたどうして脱サラしてリサイクルショップを??
高場さん:
ずっとやりたかったんです。
実は僕の叔父がリサイクルショップを経営してまして、僕はもう中学生の頃からずっと手伝っていてメチャクチャ楽しかったんですよね。車の免許を取ってからはトラックで県内を買取に走り回ったり、夜中までポスティングしたり、自分のお店のような気持ちで楽しく働いていました。
叔父はユニークな人で、リサイクルショップの他にも車屋さんや飲食店なども経営していて、イケイケタイプなんですよ。そんな叔父から商売のスパルタ教育を受けてまして、それで「自分も大人になったら会社を経営する!」と決心していました。
ニトリさんを志望したのも将来的に自分が商売を始める上で色んな経験が積めそうだと考えたからですね。ニトリさんでは本当に色んな経験をさせて頂いたので、それが非常に役立っております。
わたし:
そんなお若い頃から経営者志望だったなんて凄いですね!
それじゃずっと優秀な学生さんだったのでしょうか?
高場さん:
勉強は出来たのですが、それ以上に遊んでましたね(笑)
仲間とバイクを改造して朝まで乗り回してるようなヤンチャな学生でして、悪さがバレて退学寸前まで行った事もありました。
でも勉強出来ないとロクな仕事に就けないと思ってたので勉強はちゃんとしてまして、中間テストや期末テストではクラスでトップの成績を取るとか。ちょっと変わった人間でしたね。
それで指定校推薦で九州国際大学の法学部に入って卒業しました。
わたし:
遊び(悪さ)も勉強も全力だったのですね(笑)
でもニトリさんで優秀社員さんだったのなら、わざわざ独立されなくても良かったのでは?
高場さん:
いや~、どうしても自分のチカラを試してみたくて(笑)
ニトリに勤めてる時も、せっかく商品査定とかの知識を持ってるのに使わないでいるのは勿体ないよなってずっと思ってたんですね。
でもそれなりに良いお給料を頂いていたので、独立する事は奥さんはあまり良い顔はしませんでしたけどね(笑)
あ、そうそう、
僕は佐賀県の出身でして、最初は実家の納屋を倉庫にしてヤフオクで買った軽トラ1台でスタートしたんですよ。なので最初は佐賀県で無店舗で創業してるんです。
わたし:
あ、そうだったのですね。
それがまたどうして今の場所、小倉(福岡)に??
マーケット的にこっちの方が良いからでしょうか??
高場さん:
いや~、それはそういうワケでもなくて。
学生の頃に手伝っていた叔父のリサイクルショップも佐賀県内の同じエリアにありまして、バッティングしちゃってたんですよね。僕の商売も軌道に乗り始めていたのですが、これ以上やるとご迷惑が掛かるよなと思って別の場所への移動を模索し始めました。
そんな時に親類の紹介で『小倉に空いた場所があるから使ってみないか?』というお話を頂きまして、店舗も欲しいと思っていた僕にとってサイズ的にも丁度良かったものですから、創業から1年2ヶ月ほどでコチラに移動してきたというワケです。
なのでマーケティング的な理由でもないんですよね(笑)
ニトリ時代にこの辺りに住んでいた事もあって、土地勘が無いワケではなかったのもあります。
わたし:
たまたまご縁があった場所だったという事ですね☆
そう言えば私の自宅(兼 事務所)も自分で探した土地じゃなかったですよ。
知り合いの住宅デザイナーさんが『佐藤さんに丁度いい場所あるよ!』って教えてくれてホイホイ買ったけど、ドコに行くにも便利で当たりの場所でしたね。
人が紹介してくれる場所って、案外良いかもしれません。
ただ…
ウチの場合は隣がラブホテルなのだけが残念ですが…(笑)
(次回いよいよ最終回^^)